- 1864創業
- 初代瀧定助は元治元年(1864)に
郷里尾張国丹羽郡東野村から名古屋東万町に移り住み、
絹屋定助ののれんを継承して呉服太物卸商を営んだ。
初代瀧定助と瀧定商店の歩み
- 明治初期
-
瀧定助は資産を呉服卸業務、金融業務、不動産投資の三つに分割して運用
- 明治8-9年(1875-76)
- 1875-76
既に京呉服、関東呉服、地場織物を取り扱っている
- 明治15年(1882)
- 1882
瀧兵右衛門らと名古屋銀行 (現三菱UFJ銀行 東海銀行の前身の一つ)設立 定助、取締役に就任
- 明治20年(1887)
- 1887
瀧兵右衛門らと共に、奥田正香を発起人総代とし尾張紡績会社 (現東洋紡の前身の一つ)設立
- 明治21年(1888)
- 1888
京都支店開設
- 明治22年(1889)
- 1889
製造部門として絹定職工場開設(名古屋市西新町)
- 明治24年(1890)
- 1890
名古屋商業会議所 第一回議員選挙 瀧定助、議員に選任される (議員35名中 繊維関係者7名)
- 明治26年(1892)
- 1892
絹定職工場移転(舎人町)名古屋製織合資会社とする
- 明治29年(1896)
- 1896
瀧兵右衛門、春日井丈右衛門らと帝国撚糸株式会社創立 田口百三、茂木保平と合資会社三龍社(製糸工場)設立 岐阜絹織物株式会社に出資
- 明治30年(1897)
- 1897
第一回重役会 瀧定銀行部規則、瀧定商業部規則を議定。 銀行部はのちに本務部と改称。 商業部はのちに瀧定合名会社に於いて継承
- 明治32年(1899)
- 1899
名古屋有力呉服問屋十店で呉服一番組結成
- 明治36年(1903)
- 1903
瀧家 家憲宣誓式 初代瀧定助 死去(58歳) 長男正太郎が二代目定助襲名
- 明治39年(1906)
- 1906
瀧定合名会社設立 大阪支店開設
瀧定合名会社時代
- 明治41年(1908)
- 1908
大阪支店輸出部創設 米国諸都市歴訪
- 明治42年(1910)
- 1910
二代目瀧定助12欧米カ国巡遊視察 朝鮮へ出張
- 明治45年(1912)
- 1912
二代目瀧定助 名古屋銀行専務就任
- 大正元年
-
朝鮮起業株式会社設立
- 大正2年(1913)
- 1913
台湾出張
- 大正6年(1917)
- 1917
大阪支店全焼 名古屋本店に貿易部を創出
- 大正7年(1918)
- 1918
上海・香港支店を開設
- 大正10年(1921)
- 1921
香港支店、廃止
- 大正23年(1924)
- 1924
関東大震災の影響により、中京・関西への注文殺到
- 昭和2年(1927)
- 1927
金融恐慌による輸出の激減、世界恐慌の経営低迷につながる
- 昭和7年(1932)
- 1932
人員整理
- 昭和8年(1933)
- 1933
上海支店廃止
- 昭和11年(1936)
- 1936
本店新社屋建築着工
- 昭和12年(1937)
- 1937
本店新社屋完成
株式会社(第一期~二期へ)
- 昭和15年(1940)
- 1940
株式会社瀧定商店を設立
- 昭和18年(1943)
- 1943
瀧定株式会社に商号を変更
- 昭和20年(1945)
- 1945
終戦と共に海外営業所11箇所全部の喪失
- 昭和22年(1947)
- 1947
戦後初めて、新入社員を採用
- 昭和23年(1948)
- 1948
毛織物がこの頃より主力商品に 登録商としての取引が軌道に乗り、正規繊維品取引が売上の大部分を占める
- 昭和25年(1950)
- 1950
第1回名瀧会開催 名古屋本店、独身寮を竣工
- 昭和28年(1953)
- 1953
売上高50億円台となる
- 昭和29年(1954)
- 1954
京都支店を統合し、大阪支店新社屋の竣工
- 昭和30年(1955)
- 1955
本店社屋、移動工事・増改築の完工
- 昭和33年(1958)
- 1958
大阪支店及び本店、経営革新を遂行
- 昭和34年(1959)
- 1959
2月10日 瀧潤次郎社長、名古屋商工会議所副会頭に就任
- 昭和35年(1960)
- 1960
8月19日 石田正之亮専務死去(享年61歳)
渡辺昇平代表取締役専務に就任
売上高100億円台となる
11月9日 大阪支店社屋4階増築工事完工
株式会社(第二期~三期へ)
- 昭和37年(1962)
- 1962
名古屋本店の東京連絡所を神田豊島町に開設
- 昭和39年(1964)
- 1964
創業100周年を迎える 社章をからTSに変更
- 昭和42年(1967)
- 1967
NYにタキサダ・アメリカン・コーポレーションを設立
- 昭和45年(1970)
- 1970
売上高500億円台となる
- 昭和50年(1975)
- 1975
売上高1000億円台となる
名古屋商品センター開設
- 昭和54年(1979)
- 1979
東京連絡所、浜町に新ビル完工
- 昭和55年(1980)
- 1980
売上高1500億円台となる
4月1日 瀧 季夫、社長に就任
- 昭和60年(1985)
- 1985
売上高2000億円台となる
- 昭和62年(1987)
- 1987
㈱セクション・ワンを設立
- 平成元年(1989)
- 1989
史上最高の売上高2291億円(利益111億円)を計上
- 平成3年(1991)
- 1991
名古屋本店新社屋にて営業開始・東京連絡所が現在の地へ
- 平成5年(1993)
- 1993
㈱ビアン設立
- 平成6年(1994)
- 1994
創業130年を迎える
株式会社(第四期~現在)
- 平成11年(1999)
- 1999
6月28日、瀧 鈞一郎社長逝去
- 平成12年(2000)
- 2000
新東山寮完成
- 平成13年(2001)
- 2001
8月1日、会社分割 瀧 季夫、瀧定名古屋会長兼社長に就任
瀧 昭廣、瀧定大阪社長に就任
- 平成14年(2002)
- 2002
5月4日、瀧 潤次郎相談役逝去
8月19日、瀧 清隆取締役逝去
8月1日、瀧 昌之、瀧定名古屋社長に就任
- 平成15年(2005)
- 2003
瀧定紡織品(上海)有限公司設立
- 平成20年(2008)
- 2008
4月1日 瀧 隆太、瀧定大阪社長に就任
10月 インターテキスタイル上海出展、ターゲットは中国
- 平成21年(2009)
- 2009
課別独立採算制から部門管理へ
- 平成22年(2010)
- 2010
1月 全社横断で素材を開発
4月 輸出専門チーム新設、各部署を横断で
6月 中国市場開拓が進展、日本製生地輸出も好調
- 平成23年(2011)
- 2011
4月 東南アジアでの生産拡大
4月 国際貿易推進部新設
9月 瀧隆朗瀧定大阪名誉会長・瀧定名古屋取締役名誉会長逝去、お別れの会を開く
9月 プルミエール・ヴィジョン初出展
- 平成24年(2012)
- 2012
4月 中国生産プラスワン、インドネシアに拠点 部門間の連携進め、インドネシアの工場に融資
9月 瀧 季夫会長逝去、お別れの会を開く
- 平成25年(2013)
- 2013
5月 メンズスーツ生産、ASEANシフト
6月 10年かけ、グローバル化改造計画
8月 中国、ASEANに生産と販売のネットワーク
- 平成26年(2014)
- 2014
5月 瀧定150周年感謝の集い 開催
- 平成27年(2015)
- 2015
2月 ミラノ・ウニカ初出展
9月 アムステルダムにTAKISADA EUROPE B.V.開設
10月 原料素材部新設
- 平成28年(2016)
- 2016
4月 メンズスーツ生産工場を100%資本化
4月 TAKISADA (CAMBODIA) CO.,LTD.開設
- 平成29年(2017)
- 2017
1月 東南アジア拠点 TAKISADA VIETNAM CO.,LTD.開設
- 平成30年(2018)
- 2018
8月1日、瀧 健太郎、瀧定名古屋社長に就任
- 令和3年(2021)
- 2021
4月 神宮前オフィス 開設
9月 東京連絡所から青山オフィスへ移転
- 令和5年(2023)
- 2023
8月 株式会社ティー・エス・ロジスティックス から
株式会社TAKISADA TECHNICAL SUCCESSOR へ社名変更
- 令和6年(2024)
- 2024
1月 TAKISADA KOREA CO.,LTD. 開設